新年号の天皇に土俵入り奉納は辞めるべし

相撲は神事だと言うが、それはこじ付けである。女狂いしていた横綱白鵬の土俵入りを、神様が有難く思うはずはない。相撲は稲作文化の中で、平和の中で生まれたスポーツであり、相手を破壊してしまわないように、永続性があるように、攻撃を抑制されたスポーツである。神社などが、客寄せのためにその境内で巡業させたので、本来神事でもなんでもない。仮に神事と仮定するなら、稲作の豊作と感謝をあらわすものだとの定義からすれば、稲作の文化を知らない、狩猟民族の白鵬の土俵入りをありがたく思うはずがない。

相撲のスポーツとしての未来は。今のドーピング大相撲の中にはない。今の大相撲は

スポーツではなく、見世物であり、外人力士のサイボーグの席巻で日本人の応援でなりたっている大相撲人気を低下させている。その証拠に民放では、相撲の試合の放送はされなくなった。いかに視聴率が悪いか理解できる。

貴乃花親方の人気で、相撲というものを、世界に通用するスポーツに代えて貰いたいものである。相撲協会では、親方理事たちの利権を守るための、いじめが続き、抹消されるだろう。小中学生に相撲を教えるという情熱があるならば、そのさきにはプロスポーツとしての道が開けないと、人気は出ない。

完全なドーピング禁止のうえ、3階級くらいのクラスわけで、大会を開き、運営はプロテニスのような形式で行えばいいのではないか。力士はちょん髷など不要にして、普通の社会生活を行えるようにして、日本人が参加しやすいようにする。

ドーピング禁止、体重別にすれば、栃若時代の華麗な技が復活し、相撲も結構面白いスポーツになるだろう。